沖縄ではたくさんの遺跡があり、歴史の建造物はもちろん、後世に戦争の怖さを伝う戦争遺跡もあります。
数多く遺跡の中に、真玉橋跡では、およそ16世紀の琉球王国時代に悲しい「人柱」事件がありました。
真玉橋の歴史
真玉橋が初めて建てられた時期は、琉球王国の尚真王時代で、当時は政治用途として、按司(琉球王国の役人)の移動手段で使われています。
その時の構造は木橋で、18世紀前半までの尚貞王時代に石橋に立て替えました。現在残る真玉橋遺跡当時作られたものです。
しかし尚貞王時代作れた石橋の真玉橋は、二次世界大戦の時に破壊され、一時的にアメリカ軍が鉄の橋を建てましたが、日本復帰後今の姿になりました。
真玉橋幽霊の「人柱伝説」
いよいよ本題に、16世紀当時、真玉橋を建てる時に、現在国場川と呼ばれる川がよく氾濫し、作った橋はすぐ川の激流に潰れてしまう。
皆が悩んでいる時に、どこから「川に人を埋め、人柱を作る」という声が出てきました。概ね二つの説があります。
一、矢で選ぶ
当時ある人が「まず矢を放って、誰かの家に刺されば、その家の娘を差し上げてもらいます。川に献上し、この災いを払う。」
この提案が採用されましたが、皮肉で、矢がその提案した人の家に刺さられ、娘はそのまま橋の下に生埋めされました。
※これ…謀られただろう!
二、ナナイロムーティー(七色元結)
もう一つ最も有名な説は、当時琉球王国の役人たちが川の氾濫を鎮めるために、悩んでいた際に、あるノロ(琉球王国の専任祭司)のところに訪ねました。ノロが神と尋ねた後、こう言います。
「この災いを鎮めたい場合、一つの残酷な方法しかありません。それは人を橋の柱として、橋の下の埋めること。
しかも一般的な人ではなく、必ず子年生まれ、霊感が強い人です。また髪の毛に七色の元結をしている女性しなければなりません。」
この神やばくない?と思いましたが…
ノロの話を聞いた役人たちが、琉球国王に報告し、条件に当てはまる人を全国で探し始めました。
しかし、人探しがうまく行けず、そのまま役人たちの責任が問われるため、再びノロのところに来ました。
ちょうどその時、役人たちがノロの後ろ髪にあるものを気づきました。
あ…あんた!後ろの髪の毛に、何を付けてる!?
娘が付けてくれた元結です。
あなたの生まれ年は?
はい、子年です。
これ…何を意味するかわかる?
すみません、わたしにはわかりません。
あなたはノロ、霊感が強い。そして、子年生まれで、髪の毛に七色の元結を付けてる。人柱としての人物は、あなたほどふさわしい人がいない!
そして、ノロが縄で縛られて、人柱として、橋の底に埋められました。
埋められる前に、追いかけて来た娘にこう言いました「口は災いの元。他人より先に喋ったらだめ、それを忘れるな!」と。
うん…
真玉橋にある人喰い妖怪を鎮めるシーサー
真玉橋は人柱の伝説以外、イリヌシーサーと呼ばれるシーサーがいます。
イリヌシーサーは単なるのシーサーではなく、現在の奥武山公園付近にいた人喰い妖怪ガーナームイを鎮圧するシーサーです。
沖縄の人喰い妖怪「ガーナームイ」の真相は、こちらにご覧ください!
真玉橋の詳細情報
最後に真玉橋とイリヌシーサーの地図を付けときます。
真玉橋 | |
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イリヌシーサー |